和歌山大学経済学部の沿革
大正11年(1922年)10月21日勅令第四四一号文部省直轄官制により「第十高等商業学校」として設立が決定いたしました。
この日を「和歌山高等商業学校」の創立日としています。
大正11年12月、京都帝国大学書記官岡本一郎氏が創立委員を委嘱され、校長に任ぜられました。そして、本校の位置は海草郡雑賀村に定められました。
12年2月10日文部省令第五号をもって本校規程が公布され、3月29日に第一回入学試験、4月23日、入学生165人で入学式が挙行されています。
なお、和歌山高商創立に当っては、徳川家、地元経済界から多額の寄付金を戴いております。
このように平和時に発足した当校も、歴史の荒浪にもまれて第二次世界大戦の大混乱期を経過した間に、高等商業学校は経済専門学校と呼称を替え、更に工業専門学校に変貌し、終戦と共に経済専門学校が復活いたしました。
昭和24年、師範学校等と共に新制大学を構成して和歌山大学となり、後に短期大学も併設されました。
その間今日までに経済学部系では2万5千人を超える卒業生が柑芦の大樹の下に固く団結してまいりました。 |
和歌山大学柑芦会の歴史
大正15年(1926年)3月11日、和歌山高等商業学校第一回卒業証書授与式が挙行されたが、卒業式直前に生徒の間からこのまま四散するにしのびないとの声が起こり、数名が発起人となって学校当局の同意をとりつけ、卒業証書授与式の日、和歌山高等商業学校同窓会の発会式が挙行された。
同窓会は、のち昭和4年に「柑芦会」と命名された。
「柑芦」の名付親は岡本校長で、和歌山といえば「蜜柑」、学校の敷地あたりは「芦」が生い繁っていたことから「蜜柑」の香りと、天指して上に伸びる「芦」のたくましさ、強さにちなんで命名されたものである。
柑をカンと読まずコウと呼びならわしている。
新制和歌山大学経済学部の発足に伴い「柑芦会」は「和歌山大学柑芦会」として新発足する。
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